ユマニテ第1期(創設~約10年目)座談会/団員の減少とユマニテの魅力

ユマニテ史への想い
自己紹介と進め方
 ├ うたごえ運動からのスタートとその影響
 ├ なぜ歌うかの論議,政治とのつながり,読書会
 ├ 先駆け的な定期演奏会,そして「林光アーベント」
 ├ どんな「仲間たち」とも何処でもいつでも
 ├ うたごえ運動のあれこれとその名残
 ├ 1960年代後半,世の中と活動の曲がり角と変化
 ├ 団員の減少とユマニテの魅力と。津田塾大との関係
 ├ 60年代後半に迎えた時代状況からの難しさ
 ├ 声を合わせる楽しみ。冊子『ユマニテの歴史』
 ├ 仲間たちとの人生。高島善哉部長ほか先生
 ├ 団の運営組織の今と昔 -運営委員と音楽委員会
 ├ 黒人霊歌のリズム,指揮者ごとの異なる表情
 ├ 今日の感想とその後のユマニテ史
 └ 『ユマニテの詩』


●団員の減少とユマニテの魅力と。津田塾大との関係

(A)団の運営というか難しさは,辞めていく人たちがもーのすごかったんですよ。Bや○くんは,誰々が危ねえというと,飲み屋や喫茶店に飛んで行って,説得。そればっかり。しょっちゅうピリピリしてたんだね。

(E)今のホームページをみると,当時はこんな組織だった活動はできなかった。

(B)エネルギーの半分は辞めるやつの説得。〔笑〕

(C)それは皆さんがやってくれたんで。役割分担はできてたんです。

(E)Fがいうように,自分自身がどうしていいかわからなかったということがあって,非常に悩ましい時期だったかもしれないなと。

(A)歌う人が減るっていうことの恐怖感だね。

(D)Eくんと私の間は1年なんだけど,私の代にはCさんと○ちゃんが1年残って,下からはEたちが入ってきて,非常にのほほんと楽しくやってて,悩みなんかあまりなかったですね。・・・あの頃は良かった時期かな。

(E)非常に印象的だったのは,会社に行ってコーラスをやったんだけど,○も別の会社でコーラスで指揮をやっている。共通のプロの指揮者がいて,なかなかおもしろいことやってますねと話したことがある。解放されたような感じで,のんびりと伸びやかに合唱をやってた。

(A)みんなの年代は,団員がやめていくことの恐怖感みたいのはなかったんですか。

(I)我々の世代は団員がものすごく急速に減った(少なかった)時期だったんですね。

(H)80年代後半から90年代にかけてかなり減ったんですよ。40人とか。

(E)さっき7人って言ってたけど,集まってみたら,我々のときは2~30人ぐらい。

(I)我々は40人で,しかも女声が確保できないということで,男声合唱団化するという。

(F)あなたたちの時代の人を引きつけるものというのは何でしたか? 歌でしたか。

(I)やっぱり仲間との結びつきというか,ユマニテの出すサークルの雰囲気みたいなものに惹かれて。

(B)「ユマニテ」という名前にあるわけ? 何かフェロモンみたいのが出てるわけ?

(F)コトバで表現されないものだ。

(H)今,多いんですね,何かやりたいというやつが。でも,昔みたいにこれしかないというのでなくて,今ビールは携帯とコンピートしてるといわれるんですよ。他に使いたいところがいろいろあって,携帯に使いたいからビールを減らすとか,訳わからないところで。  合唱は一時期,あまりファッショナブルじゃないという時代があったと思うんですね。たぶんI,Jの時代はそうだった。今もう少し変わってきて,あまりにもバーチャルな世界が進行しているので,むしろ合唱みたいな泥臭いことをやりたいという人が。

(A)(A)僕らの時代はそれが「うたごえ」だったんだよ。歌はきっかけであって,そこでなんかお互いの「ぬくもり」を感じたいというのがかなり多かった気がする。  とくに一橋の場合は地方出身者が多いでしょ。東京に出てきて,仲間がほしいみたいな想いが強烈にあった。

(B)昔ね,今の時代で考えられないんだけど,男と女が合宿するというのが問題になって,シャペロン問題というのがあってねー。要するに,男と女が一緒の所に泊まって何かやるなんてとんでもないというので。・・・だいたい津田側は,一橋と一緒にサークルをやるというと,女子大の良さが無くなると,基本的に反感があった。

(A)しょっちゅう意地悪されたな。

(B)とにかくけしからん,許さない,となったんです。学校側から。僕は○さんと二人で,学生部長の家に突然行って,「どうしても認めろ」と。○さんは大学院の法学研究科で,京都大出身で刑事法の専門,その後専修大学教授をやったから,法律的にも何とかと言って〔笑〕。彼は大学院生でずっと年上だったから。僕はそうとう適当なことを言った。認めてもらったけど,シャペロンを付けなきゃいけないと言われて。

(A)舎監というやつ。

(B)で,松本の先の青木湖の合宿についてきた。

(A)日本画家でね。○のお母さんの知り合いだった。

あの頃,そもそも一橋に女性が何人いたかな。

(B)同世代に1人しかいなかった。法学部に。

(C)けっこうユマニテに入った。・・・

(D)僕のとき(1961年入学)は(一橋大の)学年全体で2人。

(C)僕のとき(1960年入学)は1人。

(A)ユマニテに入る人たちの動機はね,たぶん半分くらいは女性と一緒だから,という人が圧倒的に多かった。

(D)それはそうだと思いますよ。

(C)最初はね。

(D)私も最初はそうだった。・・

(F)団内結婚は何組あるんですかね? 3分の1ぐらいある?

(H)僕の頃は,津田の女性は3分の1ずつが一橋,それ以外の大学の卒業生と結婚し,残りは,結婚しないと言われていて。・・ユマニテは3分の1ぐらいが団内結婚。・・今でも3分の1ぐらいあるらしいです。・・・

(A)当時,ユマニテはお見合いサークルといわれた。